【挫折】建築を学校で学んでわかったことは、「答え」は自分で見つけないといけないということ

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何度かこのブログでも書いたと記憶しているんですが、私は20代後半から建築の専門学校に通ったことがあったのにもかかわらず今は全く違う仕事をしていますw

学校では当然建築の知識や考え方をたくさん学んだんですが、勉強してみて自分自身が「答え」というものがどこかにあるものだと考えているということに気づきました。

そこでなぜそう気づくに至ったのかを書いていきます。

デザインができない

建築の学校では設計を学んでいたのですが、当然課題で建物の設計をします。

住宅や商業施設、店舗併用住宅等課題が出てくる中で全くデザインをしてこなかったアラサーの人間にはどうデザインをすればいいのか当然わかりませんw

そこでいろいろ悩みながらも自分の中で考えたものを提出物として出すんですが、出すたびに必ずダメ出しを食らってしまい、次に同じ課題の提出物を出すときに内容が変わっているということが日常茶飯事でした(笑)

今思えば、アラサーだったこともあってこの先建築業界で働いていくための先生の愛情からダメ出しが多くなっていたとは感じているんですが、当時の私からしたらどうやってもうまくいかないので何か正解があるんじゃないかと無意識に考えていました。

そういうことを毎週のように繰り返していたので、いくらバカな私でも何か変だなと気づき始める瞬間がありました。

 

設計が上手い人は主張がある

設計の課題では課題が終わった時にどの設計が良かったのかランキングが出るんですが、毎回上位を取っている同級生は主張というか軸というか「自分で考えていいと思うもの」を論理的に説明できていたと思います。

それに対して私は建物の外見にこだわっていたりだとか、何が正解かわからず考えている間に課題が終わっていたという状況で、「主張」というものはほとんど皆無でしたwww

ある同級生はどんな課題にも三角屋根を使っていて、それは日本の気候に合ったデザインだからあえて同じデザインを採用しているという感じで、デザイン自体にも理由があるという徹底ぶりでした。

そんな感じで私の課題は常に迷走して主張がないものになっていました。

 

「正解」の設計を目指していた

そういう日常だったこともあり学校生活を終えた後には苦しかった経験と、就職してこの先も同じような経験が何十年も続くのかと考えていた私には到底建築の設計をやることは想像もつきませんでした。

ただ卒業して何年か経ってからなぜ設計の課題が苦しかったのか考えてみたんですが、どこかに正解があってそれを探すように課題をしていたということでした。

だからこそ課題を提出してダメ出しされたら、翌週には課題の提出物の内容が変わっているという事が日常茶飯事だったと思いますし、全く主張がないことにも通じていると感じます。

また、主張がないことはこの設計がどういう風に良くて、どう考えてこうなったという事も説明できないのでそりゃあ毎週ダメ出しされるのは当然だと思いますwww

そんなこんなで「答え」というものはどこかにあると思い込んでいる自分にアラサーになって気が付いた私でしたwww

 

これから

建築の設計を学んでどこかに答えがあるという生き方を自分自身していたということに気づきましたし、そういう生き方を30年以上続けてきたのでこの考え方は簡単に直るものでもないと思います。

ただ、絶対に直らないということもないと思うので、そういう考え方をしていないか自分自身を俯瞰して見ながら生きていこうと考えています。

また、この記事の内容に気づくのが遅かった私ですが、思い切って20代後半に学校に通ったことは後悔はしていません。

ある意味自分の人生を他人が考える「正解」というものに合わせた生き方じゃなく、自分自身で考えて学校に行こうと決めたことだったからそう思っているとも考えています。

この先どうなるかわかりませんが、日々淡々と生きていこうと思います(笑)

最後に、この記事が建築の勉強をしたいと思っている方や、何か迷ったり悩んだりしている方の参考になればと思います。

それでは!

コメント

  1. […] こちらの記事で「正解」を無意識の内に探していたと書いたんですが、それと同時に人の評価を気にしすぎていたということにも気づきました。 […]

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